ふくまる日記

毎日の子育てと介護。泣いたり笑ったりしながら書いています

《回想録》生活保護が決まってからの義父の暮らし

これは少し過去のことを振り返ってます。

生活保護が決まってから、義父の暮らしを

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記録しておこうと思います。

生活保護が決まったとき、ホッとした気持ちと不安が入り混じった感情がありました。
「これでやっと支えてもらえる」という気持ちと、「本当にやっていけるのだろうか」という不安。
それでも、まずは進んでみようと気持ちを切り替えるしかありませんでした。

同居していたときから週2回通っていた通所リハビリ(迎えにも来てくれるデイサービスの要素もある施設)は、引っ越し後もそのまま継続できました。
義実家の距離も近かったので、生活のリズムを崩さずに続けられたのは、義父にとっても私たちにとっても大きな安心でした。

さらに世帯が分かれることで、週2回ヘルパーさんが来てくれるようになりました。
一日は掃除などの身の回りのこと、もう一日は買い物代行。
義父の暮らしはもちろん、私たち家族の負担もぐっと軽くなりました。

医療費の自己負担がなくなったことも大きな安心につながりました。
これまでは通院のたびに今後のお金のことを考えていたので、その不安がなくなったのは本当に大きかったです。

通所リハビリとヘルパーさんを合わせると、一週間のうち4日は外部の人が関わってくれることに。これは想像以上に大きな支えで、安心感がありました。

義父は脳梗塞だけでなく、入院するずっと前に大腸がん、さらに入院中に肺がんも見つかっていました。
週1回は何かしらの通院があり、そのたびに私も顔を合わせていました。
リハビリやヘルパーさんの支援と組み合わせることで、なんとか生活は成り立っていきました。

最初のうちは「こんな生活になるなんて情けない」とこぼしていた義父も、支援が積み重なっていくうちに少しずつ表情が穏やかになっていきました。
支援を受け始めた当初に比べると、人に頼ることを受け入れられるようになっていった気がします。

週末には夫が娘を連れて様子を見に行き、近所や親戚の中にも「気にかけて見に行くよ」と言って実際に訪ねてくれる人も少しずつ増えてきました。
ご近所さんから「何かあったら声をかけてね」と言ってもらえることもあり、孤立せずに人とつながっているという実感は、義父にとっても私にとっても大きな救いでした。

「私以外の誰かが見てくれている」という安心は、私にとって本当に大きかったです。
それまでの私は常に気を張っていて夜も浅い眠りで、血圧も高いままでした。けれど人の手が入るようになり、周囲の支えを感じられるようになってからは、みるみる血圧が下がり、朝起きても体が軽いと感じられるようになりました。

心配するより、まずやってみて進んでいく。だめならまた考えればいい。
そんな気持ちで少しずつ前へ進めるようになりました。

最初のうちは心配や不安も多かったけれど、生活保護や制度を使うことで、私たちも義父もストレスが和らぎ、少しですが以前のような穏やかな関係に戻っていけた気がします。

今日も読んでいただきありがとうございました。
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