ふくまる日記

毎日の子育てと介護。泣いたり笑ったりしながら書いています

玄関の鍵がかけられない。私が「介護うつ」の一歩手前で気づいた限界サイン

結婚したばかりの頃、夫と将来の話をしていたときのことをふと思い出します。

「親の介護? 当然するよね」 「育ててもらったんだし、恩返ししないとね」

そんなふうに、本当に軽く、明るく考えていました 。 それがどれだけ重く、どれだけ綺麗事では済まないことなのか、何も想像できていなかったんです。

もしタイムマシンがあるなら、あの頃の私に飛んでいって、肩を揺さぶって言いたい。 「そんな簡単なものじゃないよ。あなたの体、動かなくなるよ」って。

「もっと優しくしてあげて」と言った、あの日の私を殴りたい

そしてもうひとつ、どうしても謝りたい人がいます。それは実家の母です。

昔、母が私の祖母(母の実母)を介護していたときのこと。 余裕がなくて、つい祖母にきつい口調で当たってしまっていた母を見て、当時の私はこう言いました。

「お母さん、もっと優しい言い方してあげてよ」

……なんて残酷なことを言ったんだろうと、今ならわかります。 たまに実家に帰った私が普段の母の苦労も知らずに言い放った言葉。あの時の母は、今の私と同じように、あるいはそれ以上に、一人で抱え込んでギリギリの状態だったのかもしれない。

「優しくできない」んじゃなくて、「優しくする余裕なんて1ミリも残っていなかった」んだと思います。 自分がその立場になって初めて、あの言葉がどれだけ母を傷つけ、追い詰めたかを知り、今になって胸が締め付けられる思いです。

3歳児ワンオペ育児 × 在宅介護 × 仕事のリアル

介護というと、なんとなく「寝たきりの人の介助」や「下の世話」をイメージしていました。 もちろんそれも大変なことですが、我が家の場合は少し違いました。

「生活のすべてを持っていかれる感覚」 これに尽きます

たとえば、病院の付き添い。 大きな病院だと、先生の都合や検査で待ち時間が2時間、3時間になるなんてザラです。朝一番に行っても、終わる頃にはもう夕方になっていることも

そうなると、困るのが「子どものお迎え」です。 当時、娘はまだ3歳。夫は仕事が不規則で、急な対応は頼めません

「どうしよう、お迎えに間に合わない」 焦りながら、病院の待合室で時計を睨めっこする時間は、本当に胃が痛くなる思いでした。

さらに、義父には左半身に麻痺があったので、日常生活のすべてに手がかかりました キッチンとパソコンと病院を行ったり来たり 。 在宅で仕事をしているとはいえ、体も頭も休む暇がありませんでした。

それなのに、役所で突きつけられたのは「同居のご家族がいる場合は、ヘルパーは原則頼めません」という言葉

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「3歳の子どもを抱えて、仕事もして、それでも家族だけで見ろというの? それじゃ死ねってことですか?」 思わず役所の人にそう言ってしまったこともあります 。 働いている事情なんて、制度には関係ないんです。

「私がやるしかない」 この責任感が、ボディブローのように私を追い詰めていきました。

夫の靴下にブチ切れ、一人で泣いた夜

そんな余裕のない日々の中で、「優しさ」なんて感情はどこかへ消えてしまいました。

ケアマネさんが良かれと思って言ってくれるアドバイスさえも、当時の私には「ダメ出し」にしか聞こえなかったんです。

「家のここ危なくないですか?」「お義父さん最近元気ないようですが、ご家族さんはどのように声掛けしてるんですか?」「もっとこうしたほうがいいですよ」などなど…。

「こっちだって必死でやってるのに!」 「なんで私ができてないように言うの?」

かつて私が母に「優しくしてあげて」と言ったように、周りの何気ない言葉が、キャパオーバーの心には「攻撃」として刺さりました。

そして、そのイライラは一番身近な夫に向かいました 。 ある日、夫が脱いだ靴下が床に置いてあったんです。たったそれだけのこと。

でもその瞬間、私の中で何かがプツンと切れました。

「なんで私ばっかり!!」

火がついたように夫を怒鳴りつけ、罵詈雑言が止まらなくなってしまったんです。夫はただのサンドバッグ状態 。 あとで一人になったとき、猛烈な自己嫌悪で涙が止まりませんでした。

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「私、なんでこんなに性格悪くなっちゃったんだろう」

でも今ならわかります。あれは性格が悪かったんじゃない。 心が悲鳴を上げていたんです

玄関の鍵がかけられない──それが「限界」のサイン

私が「あ、もうダメかも」と気づいたのは、もっと物理的な、日常の動作ができなくなったときでした。

ある日、出かけようとして玄関の鍵を閉めようとしたときのこと。

鍵穴に鍵をさしているのに、手が動かないんです。 回そうと思っているのに、力が入らない。鍵がかけられない

車の運転席に座っても、エンジンのかけ方が一瞬わからなくなることもありました

今まで無意識にできていた「当たり前のこと」ができない。 体と脳の連携が切れてしまったような、恐ろしい感覚でした。

「家族なんだから」「私がやらなきゃ」 そんな呪いで自分を縛り付けていた結果、体の方が先にストップをかけたんだと思います。 (あとで知ったのですが、これは鬱のような状態だったようです)

「逃げる」のではなく「守る」ための距離

「あの頃に戻って、介護を断れるか?」と聞かれたら、正直自信はありません。 夫は自分の親を大事にしたいだろうし、当時の私が「嫌です」とはやっぱり言えなかったと思います。

でも、今の私ならこう思います。 「感謝しているからといって、自分が潰れていいわけじゃない」

すべてを自分で抱え込んで、家族みんなが共倒れになってしまったら意味がないんです

今は義父と離れて暮らすことで、適度な距離でお互いを思いやれるようになりました 生活保護や施設という「制度」や「プロの手」を借りることは、冷たいことじゃない。 家族が家族でい続けるための、必要な選択肢なんです

私も家事代行を使っています👇

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もし今、介護の入り口に立っている人や、真っ只中で「助けて」と言えずにいる人がいたら伝えたいです。

玄関の鍵がかけられなくなったり、靴下ひとつで涙が出たりしたら、それはもう限界のサインです。

どうか、そのサインを無視しないで。 昔の私が母に言ってしまったような「もっと頑張れ」「もっと優しく」なんて言葉は、聞き流していい。 「冷たい嫁」と思われてもいいから、自分を守るために逃げていい。 そうすることが、結果的に家族を守ることにつながるんだと、私は思います

もし、近くに話せる人がいないなら、公的な相談窓口もあります。 まずは誰かに話すだけで、少しだけ呼吸ができるようになるかもしれません。

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