ふくまる日記

毎日の子育てと介護。泣いたり笑ったりしながら書いています

義父の家を片づけに思う。婿養子として生きた父の時間

義父の家のこと。
競売にかかって売れなかったあの家の中には、
まだたくさんのものが残っています。

家具も、古い洋服も、生活の跡がそのまま。
時間だけが止まってしまったようで、
玄関の鍵を開けるたびに、胸の奥が少しきゅっとなります。

義父はもともと婿養子で、あの家は本来、義母の生家。
離婚のとき、「どちらが出ていくんだろう」と思っていたけれど、
残ったのは義父でした。
あの大きなお屋敷に、一人で。

借金やいろんなゴタゴタを抱えながらも、
義父なりに“家を守る”ことに、
ずっと誇りを持っていたんだと思います。
今回の片づけに向き合いながら、
そのことを改めて感じました。


ガスを止めに行った日

先日、ガスを止める立ち合いに行ってきました。
ガス会社の人と一緒に、久しぶりに家の鍵を開けると、
冷たい空気と少し湿ったにおいがしました。
出て行ったばかりなのに床の埃が気になりました。

ガス会社の人が淡々と作業を進める横で、
また寂しい気持ちになりました。

キッチンに残る鍋や湯のみを見ながら、
義父がひとりでこの家を守ってきた年月を思いました。


義父の「好きにしてくれ」の意味

片づけの話をすると、義父は無言になります。
何も答えず、時々は「好きにしてくれ」とだけ言う。

その言葉をどう受け取ればいいのか、
今でも正直わかりません。
いざ、片づけようと見まわしても、どう手をつけたらいいか分からない。

でも最近になって、
もしかしたら「もう自分では動けない」という、
複雑な気持ちがあるのかもしれないと思うようになりました。

長い間、義父は“家を守る人”として生きてきた。
だからこそ、手放すことが怖いのかもしれません。


家を片づけることに思うこと

人が暮らしていた家って、
止まった時間の中にも、確かに息づいているんですね。
空っぽになりつつある部屋を歩くと、
「ここで笑ってた日もあったんだろうな」と思えて、
不思議な気持ちになります。

あの家を片づけることは、
義父の人生を少しずつほどいていくような作業。
焦らず、ゆっくり、
“ありがとう”の気持ちで進めていけたらと思います。


今日も読んでいただきありがとうございました。
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